テレビは長きに渡って人々にとって最も身近なメディアであった。しかしそのあまりの身近さゆえ、「テレビをなぜ見るのか」という根本的な問いはなおざりにされてきた。
しかし、そんな状況が変化しつつある。契機は、メディア環境の変化である。中でも、2011年7月24日に予定されている地上デジタル放送への完全以降は注目すべき事件である。長きに渡って自明であったテレビの視聴行為に、強制的・期限付きで少なからぬ投資が求められるのだ。また、デジタル化の進展によってYouTube、GyaOを始めとする映像視聴を変化させる動きも活発化してきている。このような変化によって、長きに渡って薄らいでいたテレビへの対象意識が強まる可能性がある。
そこで、「我々はテレビに何を期待しているのか」という疑問について、2つの視点から迫りたいと思う。1つは「現在」何を期待しているのかという視点、もう1つは日常性が解体された場合、「現在」からどのような変化が起こりうるかという視点である。
以上の疑問について、本論文では娯楽番組に限定して調査を行った。その理由として、①娯楽番組はテレビの長時間視聴を支える核心だから②視聴理由が比較的はっきりした報道・教養番組と違い統一的な理由が想定しにくいため調査する意義があると考えられるから、の2つが挙げられる。
質問票では、GyaOのコンテンツを擬似的な番組表に組み上げて提示し、その中から見たい番組を選択してもらった。その理由は、GyaOのコンテンツを提示することで、多くの場合、期待未形成の番組から選択を行ってもらうことが出来る。これによって、テレビ視聴に伴う雑多な要因(時間帯など)を排除し、純粋に視聴意図に迫ることが出来ると考えたためである。次いで、選択した番組について視聴理由・見たい程度などを問う。
本調査の特徴は、「日常性得点」という指標を導入し、分析に活用した点である。これは小川(1974)の「自覚度」という指標を参考に、テレビへの対象意識の高さを得点化したもので、「日常性得点」が低いほどテレビへの対象意識は高い。これを分析に用いることによって、日常性が解体され、テレビへの対象意識が高まった場合どのような変化が起こりうるかを考察することが可能になると考える。
また、視聴理由としては、Schramm (1961)のいう空想志向的要因、現実志向的要因の二つに、独自志向的要因を加えた3つのカテゴリーを採用する。空想志向的要因とは、快楽原理に基づいて、不快なことや苦痛を避けて快感や満足の即時的報酬を求める要因である。現実思考的要因とは、現実原理に基づいて、快感や満足の追求を遅延させる遅延的報酬を求める要因である。独自志向的要因とは、その番組を他と異ならしめている要因である。
以上を踏まえて、3つの仮説を案出した。娯楽番組は自己完結性の強いものであり、視聴に伴いある種の快・充足を得ることが目的である。
1.娯楽番組の視聴理由としては空想志向的なものが多い。
しかし快・充足という空想志向的理由だけでは、メディアが多様化している今日代替性が高いため強い動機付けが得られない。そこで視聴を動機付けるのはその番組を他と異ならしめている独自志向的要因であろう。
2.独自志向的要因が視聴理由として選択されている場合、視聴動機は強くなる。
また、テレビ視聴を対象化しているほど、視聴に独自志向的理由や現実志向的理由という代替性の低い独自なメリットを求めるのではないか。
3.「日常性得点」が高い人と「日常性得点」が低い人の間で、視聴理由に差がある。得点が低い人の方が、現実思考的理由・独自志向的理由が高い傾向にある。
分析によって、1・2について仮説は支持された。しかし、3については選択理由に有意な差は出なかった。しかし、日常性得点が低い、つまり対象意識が強いほど視聴理由の得点を低くつける傾向があった。
我々の視聴行為の核心をなす娯楽番組視聴、その選択基準は主に空想志向的理由である。しかし、それだけでは代替性が高いため、強い動機付けにはならない。その番組を特徴付ける独自志向的理由が、動機付けに最も影響を与えると推測される。本研究では、日常性の高低で視聴理由に差が出るとの結果は出なかった。しかし、対象意識が強いほど視聴理由の得点を低くつけることが推測された。この結果からすると、テレビへの対象意識が強まるほど、番組の魅力を低く評価しがちであるということが推測される。