祭りだワッショイ!

「祭り」とはインターネット、とりわけ電子掲示板上でしばしば起こりうる、書き込みが異常な盛り上がりを見せ、流れが通常よりも速くなっている状態を指している。そこで形成される言説が一見すると既存マスコミが伝えるそれとは異質に感じられること、ときには書き込みをした人々の行動力によって「祭られる」対象が社会的制裁を受ける場合があることに関心を持ち、その背景にあるものを明らかにしようと試みたのが本論文である。

次に本論文の目的とは以下のとおりである。

①ネット上の「祭り」とはネット世論が発現する一つの場である

②そのネット世論とマスコミが私たちに伝える世論の間には違いがある

③ネット世論が社会にいかほどの影響力を有しているのか、その限界と可能性を探る

 まず、①では「祭り」が起こった背景と経緯について触れた。「祭り」という現象が起こる原因を一般的な「祭り」の発生パターンを検証することでそのことを説明した。そして過去に起こった「祭り」の具体例を挙げた。以上の項目に触れることで「祭り」は主として「祭られる」人のインターネット上の反社会的言動をきっかけにして、閲覧者が執筆者に対して糾弾の意を表して批判・中傷の書き込みをすることで起きる、ということがわかった。そして「祭り」という場ではネット住人の意見表明が集中するため、「祭り」はネットにおける世論の表象であると示した。

②については「世論」の定義を再確認して現代社会では「輿論(ヨロン)」と「世論(セロン)」という2つの概念が混同されて用いられていることを始めに指摘した。次にネット世論とマスコミによって伝えられる世論の相違点をその形成過程と「世論」を表す2つの概念に着目して説明した。

個人の感情=「セロン」の集まりで「祭り」は構成されていて多くの人を巻き込んで社会に影響力を与える、という点でネット世論は「セロン」→「ヨロン」の過程で形成される。一方でマスコミが「多くの人たちを代表する」という立場で建前の言説を語っている背後で自説を補強するようなデータ利用で人々を煽っている、という点でマスコミによって伝えられる世論は「ヨロン」→「セロン」の形成過程をたどる。

以上によってネット世論と既存メディア(=マスコミ)が私たちに伝えている世論の間には違いがあることが明らかとなった。

最後の③では電子掲示板2ちゃんねるにおけるコミュニケーションの特徴に着目して、2ちゃんねるが盛り上がるダイナミズムを明らかにした先行研究をモチーフとして実例の分析を試みた。

先行研究では、2ちゃんねる語やAAといった定型表現を使用すればするほど議論の傾向が特定の話題について議論を深めていく方向性が弱くなり、情報収集や気楽なコミュニケーションを求める方向性(議論発散傾向)が強くなっていくことを指摘している。また、2ちゃんねるの参加者は、定型表現を用いることで集団の一員であることを意識すると、他の集団とは異なることを際立たせるために極端な意見に収束する、という現象が起こる可能性を指摘している。このことを念頭に入れて実例分析をしたところ、実際に社会に影響を及ぼしたと考えられる「祭り」には定型表現傾向と議論発散傾向、意見の批判傾向の強さが見られた。「祭り」が社会的影響力を及ぼすかどうかはこれらの3要素が握っているといえる。

また、ネット世論はその形成過程でその情報源をマスコミの発信する情報に依存しているという側面を指摘した。ここにネット世論の限界が存在している。ゆえに現状ではネット世論がマスコミ世論を淘汰して取って代わる存在になるとは到底いえない。

ネット世論の今後の可能性としては既存マスコミの暴走に歯止めをかけるチェック機能とともに、ネット世論とマスコミによって伝えられる世論との間の相互参照性に着目した。ネット世論と既存マスコミを取り巻く現状を見る限り、よかれ悪しかれ互いが互いを必要としているからである。既存マスコミが発信した情報を基にネット上で「祭り」が起こり、それをまたマスコミが報道することでより多くの人々の注意が喚起される。このようなネット世論とマスコミ世論が複合的に世論形成に携わるという関係が今後期待される。