この論文は、宮崎アニメ(定義:宮崎駿が監督した劇場用アニメ作品)に表れるジェンダーバイアスを明らかにすることを目的としたものである。日本における映画興行収入トップに名を連ね、また日本テレビの『金曜ロードショー』においても常に高視聴率をとり続ける宮崎アニメは、老若男女問わず多くの人に親しまれている。そのような作品にバイアスがかかっているならば、それを指摘することは意義深いことと考える。論文執筆の時間的都合上、4作品をピックアップし、分析を行う。
第Ⅰ部では、「ジェンダーとメディア」研究を参照し、紹介した。マスメディアは人々の意識に影響を与え、その中に描かれるものを「現実」と認識させる力をもつ。男女平等を目指すフェミニストたちは、制度的平等を達成した後に、意識下にある不平等を是正すべく、人々の認識に影響を及ぼすマスメディアに注目した。種々のメディアにおいて表れるジェンダー不平等が、現実のジェンダーを再構築しているというのである。本稿において注目する宮崎アニメは、構成や影響力においてドラマ分析と近しいため、ドラマにおけるジェンダー・メッセージ分析を行った研究を参照し、その特徴をみた。その結果、①性別役割分業(男女が社会における役割分業を性別により行っている)、②男性の多い現実社会(登場人物や主役に男性が多い)③「らしさ」固定的表現(男/女はこうあるべき、という固定観念に基づいて人柄を判断)④「見られる性」としての女性(女性は男性に見られる存在として、若さや美しさのみ価値とする表現がされる)といったような特徴があげられる。このような特徴も時代とともに変遷し、現代では新しいタイプの家庭やジェンダーを描く作品も増えている。
第Ⅱ部では、第Ⅰ部のジェンダーの特徴を参考に分析指標を定め、分析を行った。分析指標は大きく分けて①男女の多寡、②容姿に関する表現、③職業、④性別役割、⑤人物像の5つに分けられる。『風の谷のナウシカ』においては、背景として展開していく世界においては男性が多い男性社会が描かれているが、その中で主題となる蟲を助け、世界を救うというストーリーを進めるのは女性が多い。総体としては男性が多く、男性職業人が多く描かれているものの、女性原理で世界が動くという構図で描かれている。『魔女の宅急便』では、明らかに女性登場人物が多い。主要な役割を果たすのはだいたいにおいて女性である。背景として出てくるちょっとした人物や職業人は男性が多いものの、女性の社会進出を描き、妊娠しながら働く女性や育児をする男性、キャリアウーマンや男性的服装の女性を描く先進的な作品。『もののけ姫』では女性社会が描かれる。タタラ場という一つの共同体全体において女性が強く、男女平等もしくは女性が優位の社会が描かれる。また、容姿に対するこだわりが見え、見目麗しい男女が登場する。『ハウルの動く城』においては、男女ほぼ同数の登場人物が表れ、男性女性共に家事を行う姿が見られる。容姿に対する表現が多く、男女ともに容姿を自らの自信の源としている。主人公が老婆というのは制作者側も抵抗があったようであるが、それに踏み切ったという面で意義深い作品。
Ⅲ部では、作品を概観し考察を行う。男女の多寡という面に関してはほぼ同数、もしくは女性の方が多い。主要登場人物に限ってみれば女性の方が多い。職業をもつ女性が多く現れるのも特徴である。しかし、背景に描かれる職業人は男性が多い。後期作品において容姿に対するこだわりが見られる。しかし、女性の美しさ・若さが絶対的価値といった描き方ではなく、自らの内面的自身の表れといった側面が大きい。性別役割分業は、全体を通して背景に多く見られる。力仕事・戦争に関する動きは男性が多いが、もののけ姫に関してはその限りではない。前期作品では基本的に男性社会のもとで動いていたが、後期作品では女性も平等に活躍している。「らしさ」固定的表現は宮崎アニメにおいてはほとんど見られなかった。人物像に注目すると、ナウシカの母性的で可愛らしい女性像から、キキの未熟さ、サンの野生性、ソフィーの老婆の姿などを鑑みて、一面的理想的女性像から変遷してきていることがわかる。これは本人の意識の変化だけでなく、周囲からの批判や助言によるものでもある。これらの結果と宮崎駿氏の発言から、あえて男性/女性という表現に関して注意深くは作っていないが、宮崎氏自身の経験に基づくジェンダー観が作品に反映されていると考えられる。女性が元気がよく、男性はオロオロしているというその印象はすべての作品に通底していて、特に後期作品においては女性の強さが個人から社会面へと拡大していっている。これはスタッフからのメッセージも受けての変化でもあり、そういった意味で社会的要請を受けて宮崎アニメも変化していっているものと見ることができる。
Ⅳ部では総括を行っている。Ⅰ部でみた一般作品のジェンダー特徴と比較して、女性が強いという特徴と、それが「共同体」として描かれている特徴、そして、理想的な一面的女性像から様々な女性像へと変化していることが挙げられる。
(永守薫)