背景
就職活動で最初にすることは就職情報サイトに登録し、企業にエントリーすることである。その際、エントリーフォームに志望動機や入社後のキャリアに関する作文課題を用意している企業が多い。一方で、インターネットによるエントリーはその精神的・物理的コストの低さ(例えば、いちいち手書きで書かなくても、一度作った志望動機や自己PRをコピー&ペーストで使いまわせる、など)から、一人当たり総エントリー社数の増加を招き、あまり志望度の高くない企業へのエントリーも増加していると推測される。
また、フェスティンガーの認知的不協和理論によれば、人は自分の本心と反する意見を報酬や罰により強制的に表明させられた場合、「本心」と「表明した意見」の間に認知的不協和を感じる。この状態は本来的に不快感を伴うので、その解消のために「本心」と「表明した意見」のどちらかを変更せねばならないが、「表明した意見」は動かぬ証拠であるために、本心のほうを変えてしまう。
したがって、認知的不協和理論の観点からエントリーフォーム記入の場面を考えると、あまり志望度の高くない企業へのエンントリーフォーム記入が、「本心」と「御社を志望している、という回答」の間に認知的不協和を発生させる。その解消の為に「本心」のほうを変えてしまう、すなわち当該企業に対するポジティブな感情を喚起させ、「この企業は自分に合っている」と自己説得してしまうのではないかという仮説を立てた。
検証
仮説の検証のため、次のような実験を行った。実験群の被験者はまず、リクナビ2005という就職情報サイトに掲載されていた株式会社アサツーディ・ケイという広告会社の企業情報を閲覧した。その後、架空のエントリーフォーム課題に回答してもらった。そして最後に、この企業に対する印象と被験者自身の就職志望業界を質問した。統制群には、企業情報を閲覧した後で、この企業に対する印象と被験者自身の就職志望業界を質問した。つまり、実験群と統制群の条件の違いはエントリーフォーム課題があるかないかという点だけにした。
結果
実験群と統制群間でt検定を行ったが、有意差は見られなかった。したがって、本実験は失敗であったと言わざるを得ない。
失敗の理由として、以下のような実験計画と手続きの不備が考えられる。(1)広告会社という志望度の極化しやすい業種を選んだため、誤差が大きく出てしまった。(2)被験者の約半分が2年生であり、就職に対する自己関与が低く、エントリーフォーム課題に真剣に取り組んでもらえなかった。したがって、操作が弱かった。(3)エントリーフォーム課題の量が多く、被験者にストレスを与えてしまった。ストレスが実験者(私)に対するネガティブな態度となり、直後に行った、企業に対する印象と被験者自身の就職志望業界への質問に真剣に答えてもらえなかった。(4)被験者には全学部の学生が混在していた。だが本学の学生は、特に商学部・経済学部は金融に強い、といった暗黙の就職観があり、広告会社に対する志望度に偏りが出てしまった。
考察
結果こそ出なかったが、本研究の意義は充分にあったと自負している。まず第一に、「就職先は学生自身の自由意志で選ぶものであり、結果への責任は全て学生にある」という自明の理に風穴を開けるという点で重要であろう。また第二に、学生の就職活動が安易でポリシーのないものになってきている、という議論はメディアでしばしば取り上げられているものの、その原因を追及する実証的な研究は今までほとんど行われていなかった。よって本研究は、今まで着眼されなかったテーマに対し実証的な試みをしたことにおいても意義があるだろう。
特に、就職情報サイトはほぼ全ての学生が使用しているうえ、一種のマスメディアであるために、影響力の源泉として最も被疑がある。さらに最新版のリクナビ、「リクナビ2006」では会員登録している学生間でメールにより情報交換を行えるシステムが付加されている。つまり、学生が受け取る情報が企業からのものだけではなく、口コミによる情報が増大することが予想される。ことことは、就職活動における学生の意思決定に新しい影響力を及ぼす可能性を孕んでおり、今後の重要な課題でもあろう。