小説の映画化は、映画の誕生とともに現れた、スクリプトの作り方の一つである。近年、ハリーポッターやトワイライトなどと小説の映画化が増加している。この急な増加によってアダプテーション研究の幅も広がった。しかし、アダプテーション研究の中でも、一つのタイプである翻案映画は研究が未だに進んでいないままである。
翻案映画は、小説の一部 -キャラクター、プロット、テーマなど- を取って新しいスクリプトを用いて作ったアダプテーションである。これによって、海外版以外は小説と直接比較する価値がないとされがちである。しかし、最近の研究の中には、これらの翻案映画をラディカルな映画化として小説の新しい解釈として紹介しているものもあり、これから注目を浴びるとされている。
本論文では、翻案映画とソースである小説の両方において大切とされる一つのテーマの映画における解釈を分析し、映画の時代におけるテーマの意義を説明しようとする。これによって、翻案映画の可能性とこれからの使い方について一つの案を提出する予定である。
小説として選択したのはフィッツジェラルドの有名な小説『華麗なるギャツビー』である。この作品のメインテーマは1920年代における「アメリカンドリームの衰退」である。彼はこの作品においてギャツビーという男の好きな女ともう一度一緒になるために、違法な道でお金を稼ぎ、金持ちになったストーリーが紹介されている。その中に、アメリカンドリームが様々なモチーフを通じて語られている。この小説と比較するのは2002年にとられた黒人映画「G」である。この映画は、メインのラブストーリを用い、2000年代におけるアメリカンドリームを語っている。
アメリカンドリームとは、アメリカの建国のもととなっているイデオロギーである。初期は「すべての人に同様なチャンスがある」という形であった。しかし、ゴールドラッシュと第一次世界大戦の直後アメリカンドリームは早く金持ちになり、財産を持てることとなり始めた。このマテリアリズムを中心としたアメリカンドリームは1929年の世界恐慌の後にその可能性がなくなり、またも「平等」がイデオロギーのもととなりモラルが重要な立場にたった。奴隷解放や移民の増加などを通じて平等は中心の問題であった。このマテリアリズムとモラルのサイクルが本論文において二つの作品の中で探るところである。