有名人広告は、日本の広告表現の大きな特徴である。諸外国と比較しても、広告に有名人を使用している率は他国と比べ物にならない。しかしながら、そもそも日本の広告のこのような特徴は、これまで学問的にあまり注意が払われてこなかったうえに、数少ない研究例も国際比較的なものや消費者行動と絡めた理論的なものにとどまっていた。そこで、本論文では今までの研究とは違った視点から日本の有名人広告を扱った。先行研究においては、比較文化的な観点からの日本の「有名人広告」という、いうならば“横”の研究が多く見られたのに対し、本論文では日本に限定して、有名人広告が現在の隆盛に至る歴史をみる“縦”の研究を試みる。
本論文において、有名人は「当時の人々(特に広告のターゲットとなる庶民層)に名が知れている、顔が知れている人」と定義した。時代ごとに少しずつニュアンスを変えるが、根底にある「有名人」の定義としては、この定義を採用する。
有名人広告は、江戸時代から姿を見せ始めた。その背景には、庶民層の消費が活発になったこと、大衆文化や情報網が発達したことなどが挙げられる。長く平安が続いたこの時代を、有名人広告の発生期と区分した。明治時代に入ると、有名人広告は成長期を迎える。西洋文化が流入し、中央集権国家の体制がとられるなど、日本という国自体が様変わりしていく中で、有名人広告もまた、多様性を見せるようになる。また、新聞という新たなメディアの発生により、量的にも大きく成長する。しかし、その後の大正時代から戦前にかけての時期には、量、質ともに大きな変化は見られず、戦時色が強まると減少の一途をたどることになる。大正後期から昭和はじめにかけての不況の波が大きな影響を与えており、金のかかる有名人広告は企業から敬遠された。また、戦時下になると広告の数自体が少なくなり、有名人広告も例に漏れず姿を消していった。この有名人広告低迷期に終止符が打たれたのは、戦後復興期が終わり、大量生産の新製品を不特定多数の顧客に広げようと、多くの企業が動き出した1950年ごろであった。こうして、有名人広告は復活をとげ、この後、高度経済成長期を迎え、日本の広告表現の第一の特徴と言われるまでに成長する。
有名人広告の歴史を追っていくと、「高度な消費社会」・「発達した広告メディア」・「成熟した大衆文化から生まれる有名人」の三点が、有名人広告発達の条件として挙げられることがわかった。現代においてもこの三点は十分に満たされていると考える。ただし、「発達した広告メディア」については、必ずしも現代の有名人広告に追い風かというとそうではない。今までは、テレビという視覚メディアが、他をよせつけず圧倒的な影響力をもっていたが、最近はインターネットが広告メディアとして大きく成長してきている。テレビと相性の良い有名人広告は、インターネット広告ではその存在感を発揮しきれていない。
今まで、新たなメディアが生まれるたびに、順応するように形や質を変えてきた有名人広告である。これからさらに成長を見せるであろうインターネットにおいても、新たな有名人広告の歴史が生み出されることを大いに期待したい。
(渡部未希)