1970年頃に新しい障害分類として登場した「発達障害」は、2000年代に相次いで起きた凶悪事件の加害少年が発達障害者であることが大きく取り上げられて以降、犯罪との結びつきで報じられることが多くなった。本論文では加害少年が発達障害を持っていることが明らかになったとき、メディアはどのように事件を報じてきたかについて、3つの事件報道の比較分析を通じて研究する。この10年で発達障害の臨床的研究は格段に進歩したものの、犯罪報道との関係についてはほとんど研究がなされておらず、客観的な調査研究はないに等しい。本論文には今まで感覚的にしか捉えられていなかった両者の関係性を明らかにする点で意義がある。
本論文では問題を(1)見出しで障害名を報じること、(2)決定要旨の一部のみをことさらに取り上げ、障害以外の要因を切り捨ててしまうことの2点に絞り、これらの点に関して報道がどのように変化してきたのかを分析した。分析にあたって、豊川市主婦殺害事件(2000)、長崎市男児誘拐殺人事件(2003)、JR岡山駅突き落とし事件(2008)の3つの事件報道を分析対象とした。分析データの収集には朝日新聞データベース「聞蔵」、読売新聞データベース「ヨミダス文書館」、毎日新聞データベース「毎索」を使用し、キーワードを「事件名&発達障害」として検索した。この10年で障害の研究が進み医療や教育関係の踏み込んだ記事も増えたことから、2つの仮説を立てた。報道は改善してきたとの見込みから、「仮説1:障害名を見出しで報じる記事は減少傾向にある」、「仮説2:障害など少年の資質に関する記述は減少傾向にあり、家庭や学校など少年の生育環境に関する記述は増加傾向にある」と予測した。
分析の結果から仮説1は棄却され、仮説2は支持された。仮説1については障害名を見出しで報じる記事はむしろ増加傾向にあった。また仮説2については、資質面に関する記述に偏っていた10年前より、環境面に関する記述が増加傾向にあった。仮説1の棄却により、問題とされてきた見出しでのセンセーショナルな報道が、改善されるどころか過激さを増したことがわかった。仮説2が支持されたことで、責任の帰属を少年の資質面に置きがちだった報道が環境面を重視する方向へ変化してきたことがわかった。これら2つのことから、読者を惹きつけるために見出しの鮮烈さを重視する一方で、記事本文の中で障害と犯罪を短絡的に結び付けないように配慮を重ねてきたことがうかがえる。ニュース価値と報道倫理の狭間で揺れる新聞の現状が垣間見えたと言えるだろう。