多文化社会における「表現の自由」の限界

 2005年9月のデンマーク紙Jyllands Postenのムハンマド風刺画掲載を発端に西欧社会とイスラム社会の軋轢を生じ、不買運動、大使召還のような国際問題、さらには抗議行動における死傷者をも出す結果となった「風刺画問題」への関心を出発点とし、異文化の共存、グローバル社会におけるメディアのあり方について、「表現の自由」という価値を中心に問う。 

 論文構成としては、「風刺画問題」について第1章で事件経緯を紹介したうえで、第2章においてそこに浮かび上がるいくつかの疑問・問題点を提起し、以降の章への導入とする。

 第3章では、舞台となったデンマークを始めとする西欧社会のメディア側に焦点をあて、彼らの主張する「表現の自由」という価値について言及とするとともに、デンマークにおけるメディア文化、さらに「イスラム・フォビア」と呼ばれる反移民感情にも触れながら、風刺画掲載の背景を探る。

 第4章では、対するイスラム社会の視点から「風刺画問題」の考察を試みる。イスラム社会における根本価値としてのイスラム教の教理についての知識に加え、前章で挙げる「イスラム・フォビア」といったイスラム社会の不満の要因に言及することから、風刺画に対するイスラム社会の怒りの原因を探る。

 続く第5章においては、第3章・第4章で考察した西欧メディアとイスラム社会の間の軋轢について「文化摩擦」という概念を引用することで、異文化コミュニケーションの問題、多文化主義社会の可能性について論じる。

 その上で、第6章では、風刺画問題に論点を戻して多文化主義社会におけるメディアのあり方、「表現の自由」の限界について考察し、それまでの議論を踏まえた「風刺画問題」、Jyllands Posten紙の風刺画掲載の是非に関する自身の見解をもって結びとする。

 「風刺画問題」の考察を通して本論文において明らかにしたかったのは、グローバリゼーションが進む現代社会において、文化という様々な社会構成員集団に固有の価値がコミュニケーション齟齬を起こしている現状であり、その解決策としての「多文化主義社会」という異文化共存の可能性、そこにおけるコミュニケーションの手段としてのメディア役割の可能性である。

 一連の「風刺画問題」、そしてその衝突の背景において、メディアはむしろその衝突の助長要因となっていた。しかし、グローバリゼーションの中、その速度・伝播力をもってメディアが果たすべき役割は異文化間の相互理解の促進、差異の尊重と同時に普遍的な価値を作り上げていくことである。今回の問題においてメディアが主張した「表現の自由」というメディアの根本的な価値についても、そうした真にグローバルなメディア空間の実現を前提として存在すべきものであるといえる。