【序章 宣伝する帝国】
1930年代から第二次世界大戦期にかけて、中央ヨーロッパに覇を唱えたナチスドイツの第三帝国と、現代世界の民主主義国家の旗手として、世界情勢に影響力を行使しようとしている現代のアメリカ合衆国。両者は一見して対極に位置しているかのようである。しかし、第三帝国の政権掌握から第二次世界大戦開戦までの道のりと、現代アメリカの同時多発テロへの対応からイラク侵攻までの道のりを比べてみれば、その宣伝戦略における類似点が存在する。両者がどのように、宣伝を用いて国民を掌握し、対外政策を優位に進めようとしてきたかを比較検証し、近代的政治プロパガンダの手法と「宣伝する帝国」の正体を明らかにしていきたい。
【第一章 第三帝国と現代アメリカの状況比較】
ドイツは第一次世界大戦で敗戦国となり、莫大な賠償金と一方的な戦争責任を負わせられた。ドイツ本土が戦場にならなかったことにより、国民の敗戦意識は低く、戦争による物資の不足と経済制裁によって大衆の生活は苦しかった。ドイツ国民は屈辱と貧苦の中で、理不尽な戦勝国と弱腰の革命政府に対して、不満を抱くようになっていった。そこに登場したのが、アドルフ=ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党である。彼らは大衆の怒りと不満を利用した巧みな宣伝戦略によって、たちまちのうちに支持を獲得していった。
アメリカは第二次世界大戦後、ソ連と対立して世界の二陣営化を招き、冷戦が始まった。世界で起こる様々な紛争や対立に両陣営が介入したことは、知らず知らずのうちに、後世の火種を作るもととなっていた。ベルリンの壁の崩壊とソ連の破綻によって、冷戦は終結し、アメリカは世界唯一の超大国となる。その自負をもとに、アメリカは湾岸戦争やパレスチナ和平などの中東政策を実行していった。2001年、同時多発テロが発生。共和党タカ派やネオコンで側近を固めるブッシュ政権は、この事件を機に「正義」の名の下に国民をまとめ、敵対国家を叩くための宣伝戦略を展開する。
【第二章 宣伝戦略を担う存在】
第三帝国の宣伝戦略の中枢にいたのが、宣伝大臣ヨーゼフ=ゲッベルス率いる国民啓蒙宣伝省である。宣伝省はラジオ・映画などのマスメディアを掌握し、街頭での宣伝戦を大々的に展開し、全体主義体制確立と維持の柱石を担っていた。一方、現代アメリカの政治を担うブッシュ政権の中枢にいるのが、ネオコン(アメリカ新保守主義)と呼ばれる人たちである。その基本となる考え方は、「世界中に、最も優れた政治体制である民主主義を広めるためには、力を行使することもいとわず、その責任が強者には存在している」というものであり、彼らはアメリカの主要マスメディアに多大な影響力を持っている。
両者の主要な宣伝媒体として、二つのものが挙げられる。一つは「演説」である。ナチスは街頭を政治の場として位置づけ、街頭を暴力で制圧し、そこでの演説を宣伝戦略の柱として政権掌握を果たした。第三帝国成立後は、マスメディアを用いた演説と、大衆との予定されたコミュニケーションとしての演説を行うことで、国民の強制同一化を促進していった。現代アメリカでも、演説はイメージ作りの要として、依然重要な位置を占めており、マスメディアの発達に合わせて、その手法はより洗練された隙のないものになってきている。もう一つの宣伝媒体が「マスメディア」である。第三帝国はラジオ・映画・新聞などを独占し、あらゆる方向から波状攻撃のようなプロパガンダを国民に浴びせた。一方、現代アメリカは民主主義国家である以上、マスメディアを表立って政府が操作することは出来ない。しかし、政権とマスメディアはカネと権力関係で強力に結びついており、国民に多大な影響力を誇るテレビを用いての、洗練されたプロパガンダが存在している。
【第三章 「敵」はいかにして作られたか】
宣伝戦略において、最も確実で有効な方法が、「敵」を作り出して叩くことである。その具体的手法はどうであったか。
ナチス政権掌握までの宣伝戦を強力に支えていたのが、突撃隊とゲッベルス発行の週間誌「攻撃」である。突撃隊の視覚的象徴的な力強さと、その具体的発現としての暴力行為、「攻撃」誌の計算しつくされたプロパガンダ、これらを背景にしてナチスは、敵対政党やユダヤ人を「敵」に仕立て上げていった。
第二次世界大戦時、宣伝省の役割はやはり、憎むべき「敵」の創出による国民の鼓舞であった。宣伝中隊の取材をもとに作成したニュース映画や、ラジオ放送・新聞での歪曲された戦況報告、そしてヒトラーを神格化する演説により、「大義はこちらにあって、憎むべき敵は滅びるのだ」というメッセージが伝えられ続けた。
2001年の同時多発テロは、世界に衝撃と恐怖を与えた。それは痛ましい事件であったと同時に、ブッシュ政権の世界戦略を実行していく上での、最高のチャンスだとも言えた。マスメディアを使った巧妙な宣伝戦略で、アメリカは証拠不十分なままに容疑者をイスラム過激派グループと断定し、テロ事件を宣戦布告と言い換え、「敵」に仕立て上げたアフガニスタンへの空爆を開始した。国民の悲しみを巧みに、憎悪へと転換させていったのである。
続いてアメリカは、イラクを「敵」に仕立て上げた。テロを一掃する、イラクが国連の査察を拒否した、フセインの圧制から民衆を解放する、と正義のレトリックを用いて、イラク侵攻を正当化する宣伝戦を展開した。裏側での報道統制と、ネオコンのマスメディアへの影響力を背景に、アメリカはテレビの中で虚構の現実を作り出し、国民を扇動した。
【第四章 宣伝戦略の比較と考察】
両者の宣伝戦略を考える上で、最大のキーワードが「暴力」と「大義」である。
両者の宣伝戦略は圧倒的な軍事的暴力に支えられていた。その具体的な力の行使とマスメディアを用いて生み出す虚構によって、両者は暴力空間を作り上げた。ナチスの政治空間は街頭であり、現代アメリカの政治空間はテレビである。すなわちそれが国民の感じる現実世界であり、政治と世界情勢が進行する場なのである。両者はそこを制圧し、ナチスは直接的な暴力によって国民に恐怖を与え、アメリカは洗練された暴力によって国民の理性を奪い、大衆に虚構世界を現実だと認識させていった。その際の宣伝戦略の骨子となる言葉が「大義」である。第三帝国においては「意志」という言葉で、アメリカにおいては「正義」という言葉で、その戦争や政策の正統性が訴えられてきた。歴史の法則、神から与えられた使命、そう国民に信じさせるために「大義」という言葉は繰り返された。
第三帝国が「動」の宣伝戦略なら、アメリカは「静」の宣伝戦略である。しかし、目的とすることや、その手法の本質にはなんら変わるところはない。宣伝戦略とは、その受け手の感じる世界を二つに分け、二元論の単純な世界観と思考回路を強制する。思考と想像力を奪い、感情に訴え、大衆を導いていくのだ。
真実は単純でなく、世界は多様である。宣伝戦略によって作り上げられた世界は、理解が容易で魅力的に見えるが、偏った世界である。我々は、宣伝というものが作り出す世界や歴史を、正しく見つめられる目を持っていなければならない。